8月の一日坐禅会は19(水)です。14時から1時間ほど、正法眼蔵随聞記をテキストに仏教勉強会となります。
お盆の時期に入りました。昔は”盆と正月が一緒にきたような”という言い回しがあり、仲のいい親族が集まる楽しい時期だったようですが、
今はどうでしょうか? 実家に帰省せず、自分の家族だけで過ごすという方もおられるでしょう。
お盆の伝承に感情移入できない若い方も増えているようです。死んだ先祖が帰ってくるわけがないだろう?というわけです。
そこで、臨済宗中興の祖である白隠禅師が残された有名な句を紹介しましょう。
「どこにもいかぬ、ここにおる。尋ねはするな、声は出さぬぞ」
これは死んだ最愛の息子が死後どこに行ったのかと尋ねる母親への答えです。
普通、宗教家は愛する家族が死んでどこにいるのか尋ねられたとき、「天国」という物語を使うものです。
生前、善良な生き方だったから、今はいいところに行っていますよ、と。
白隠禅師は、あなたの愛する人は死んでも、どこにもいっていません。と言うのです。もちろん、幽霊になって身辺をただよっている
というわけではありません。
たとえていうならば、シャボン玉を思いうかべてください。シャボン玉は空中を飛んでいき、いずれは割れてなくなります。でも、シャボン玉のなかに閉じ込められていた空気はどこにも行きません。周りの大気と一緒になって、大空に広がっていくのです。私たちの周りに大気があるかぎり、今、ここにあるのです。
坐禅のとき、同じように参禅者はこう尋ねることができます。
「私とは誰か?」「自己とは何か?」
そして、同じように坐禅はこう答えてくれることでしょう。
「どこにもいかぬ、ここにおる。尋ねはするな、声は出さぬぞ」

